Abara Banaba information - JAPAN
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ABARA BANABA - Our Homeland Banaba 

Motto: "Keiaki Waaki!" (Keiaki Waaki!)     Meaning: Strive to Prosper

Logo Definition: The golden star represents the Sun, which is a Banaban totem.  The circular shape represents the Banaba Island and a traditional fishing hook that symbolizes the Banabans survival through the generations. The blue colour symbolizes the Banabans as a people of the sea.

- JAPAN -

ABARA BANABA INFORMATION BROCHURE

 

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BANABANS Life today…

 国際NGO「ABARA BANABA」の目指すもの-

私たちの故郷バナバ島

 わたしたちABARA BANABAはバナバ民族のみならず、世界中のサードワールドの少数者の声を世界に伝えるための、バナバ民族自治政府、住民投票で選ばれたランビ評議会から正式に承認され世界にむけたスポークスマンという支援グループです。多くの皆様の参加とご支援を歓迎いたします。

 私たちは正義を求め、バナバ民族のより良い未来創造のために活動をしています。

 バナバ島の徹底的な環境破壊のリハビリテーションの道と持続可能な開発を追い求めます。

 バナバ民族の平等と団結を支援いたします。

バナバ民族の文化遺産、民族のアイデンティティを保持するために可能でグローバルな情報提供と国際社会への参画、できる限りの支援を行います。

ABARA BANABAはバナバ民族自身の日々の壮絶な努力を支援することを目的としています。

私たちすべてが、すべての人々の基本的人権を尊重し、守る責任があるからです。私たちのそれぞれとあらゆるひとりがそれを見る責任は基本的人権です。私たちは私たちの大切なものを維持するためにバナバ民族の基本的人権を否定することはできません。それが私が彼らに語らなければならないすべてでしょう。

ぜひ皆様のご支援がいま必要なのです。太平洋の忘れられた人々のために、いま!

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- AIMS  OF ABARA BANABA -

Our Homeland Banaba

バナバ民族の物語。

Banabansはバナバと呼ばれる南太平洋島(英名Ocean島)のオセアニアの民族です。 1900年に、純粋な燐酸塩でバナバ島覆われているということが発見されました。この運命的な発見は、80年間の燐鉱石採掘の始まりがバナバ民族の祖地バナバ島で英国、豪州、ニュージーランドの政府国策会社によって開始されたのです。

 第二次世界大戦の間、日本帝国軍は採掘作業を引き継ぐ目的でバナバ島に侵入しました。 日本軍は、バナバ民族の総人口の1/5を殺害して、他の太平洋の島に、生存した残り全員を強制移住させました。そこでは、労働が強制されました。

戦争という過酷で恐怖の占領があった後に、Banabansは英国の植民地政府によって集められて、彼らが自分達の故地バナバ島に戻ることができないと言われました。植民地政府は豊富なリン鉱石を継続して採掘するために、日本軍の侵略破壊工作を誇張した嘘をバナバ民族に伝え、もう戻れない、住むことも認めないと言ったのです。

1945年12月15日、バナバ民族は連合軍と植民地政府によって2000マイルも離れた現フィジー共和国のランビ(RABI)島に強制移住させられました。軍用のテントと僅かばかりの食料以外にはまったく何のサポートもなく捨てられたのです。将来、バナバ島への再訪、彼らの島であるバナバ島は彼らに土地の権利がある、将来戻れることも確約しておきながら、いまなお放置されています。

1965年に、英国植民地政府に対してバナバ民族はイギリスの高等裁判所で訴訟を起こしました。 この高価で長い間戦われた法廷闘争は、結局、植民地下の先住民族、少数者の権利を虐待した判決がくだされたのですが、「英政府がバナバ民族に対して損害賠償しなければならないのに、無力であったと」述べる裁判官の言葉や欧州市民の大きな支援と共感得た、英国憲政史上最も長い民事事件の1つとなりました。 1981年に初めてバナバ民族は驚くほどの僅かばかりの補助、補償も受けました。を

The Forgotten People of the Pacific


BANABANS Their story….

バナバ民族は公判と同時に、正義に満ちた法定、政府であるならばバナバ民族に独立を与えるように陳情の戦いを広げました。 英政府は、また再び、沸き起こる彼らの運動と支援、バナバ民族問題から逃避して、植民地州政府の知事と大臣によって新たに形成された評議会に任せました。 独立の夢と希望は評議会によって打ち砕かれました。

 979年11月、ついにバナバ島のリン鉱石がすべて掘り尽くされました。バナバ民族の財産資源であったリン鉱石は、その利益を手放さなかった独立直後のキリバツ共和国の手によって最期の出荷がなされました。そしてまたバナバ島は放置され、キリバツ政府からの関心も人々の心からも忘れられようとしているのです。キリバツ共和国からも遠く離れた絶海の孤島の独自の文化や言語を持っていたバナバ民族は、祖先の地から遠く離れたフィジー共和国、ランビ島で、忘れ去られそうになりながら生き抜く壮絶な戦いを現在も繰り広げているのです。

バナバ島は永遠にバナバ民族の故国、祖先の島として全員の心の中に残っているのです。

The BANABANS...

日本、英国、豪州、ニュージーランドがバナバ民族に無関心ではいられない理由は?

 元々1900年に、バナバ島のリン鉱石採掘は個人的に所有されているイギリスの会社によって実行されました。しかし、同社は、1920年に英国、豪州、ニュージーランド政府の圧力によって、イギリスのPhosphate(リン鉱石)委員会として知られている共同体を形成しました。これらの3つの国の政府が1981年まで容赦なくバナバ島を採掘して破壊してしまいました。島の環境リハビリテーション、もう一度住みよいバナバ民族の故郷、以前の状でに復旧する政府の約束も現在まで試みられたことはありません。


現代社会の常識では、バナバ民族が4つの強大な国の手で受けた破壊と酷使の話は信じがたい内容です。

今日、私たちは過去のレベルの常識、不可能と思えたリハビリテーションも、現代科学の進歩、グローバルなネットワークを許容する現代の技術、およびコミュニケーションの発達と知恵によって不可能ではないと思っています。 また、今日で、私たちのそれぞれとあらゆるひとりが国際化時代を意識して、私たちのグローバルな隣人にとって地球がいったいどれくらい小さいか、そして、私たちの過去および現在の道徳的責任を意識するようになります。 私たちの複雑なグローバル化の時代では、この人道主義の、そして、深刻化する環境問題に直面する私たち、環境のカタストロフィーに責任がある国際社会と、特に国家、人々が国境を越えて、問題に取り組まなければなりません。バナバ民族は私たち全員の負の遺産なのです。彼らBanaban故国の現在、捨てられて、かつて非常に多くの利益を我々だけにもたらしたリン鉱石採掘、開発の不当な遺産として残っている現在の障害克服を支援しなければならないという道徳的責任を見失うのは簡単です。しかし、それは、政府や私たちが、残されたバナバの人々を抹殺して、悲憤と悲劇の中で彼ら忘却してしまい、存在しなくてもいいということなのではないでしょうか?

太平洋の忘れられた人々、バナバ民族は人類と地球環境保全のキーワードではないでしょうか?再び私たちがバナバ民族を忘れ去るとき、私たちは私たちの環境や人類の未来をも失ってしまうような気がしてなりません。
 The Forgotten People of the Pacific


BANABANS Life、NOW…

バナバ民族とは。

 ハワイと豪州のほぼ中央に位置する英名;オーシャン島をご存知でしょうか?日本では「太洋島」と呼ばれていた赤道直下の太平洋の小さなこの島の人々は、島をバナバ(banaba)島と呼び、自分たちをバナバン(banaban)といっています。

 日本との関係は古く明治大正時代にさかのぼり、第二次世界大戦中は、豊饒な資源確保のために日本軍によって占領されていた島でもあります。島を覆っていた豊富なリン鉱石は大正時代から、中国人、キリバツ人、沖縄からの労働者などによって採掘され、人口急増と農村部の貧困、食料不足という時代に、日本の富国強兵策と日本人全体の食料供給を支えたのは、この島からのリン鉱石輸入であったと言えます。

 開戦と同時にバナバ島を空爆・占領した日本軍は、資源採掘の邪魔と島民のバナバ民族を、遠く離れた3つの島に強制移住させ、多くの残酷な出来事もおこりました。スパイ容疑として拷問・虐殺、家具財産・食料などの破壊・窃盗、強制労働。敗戦時には、それらの行為の隠ぺいのために、強制連行したキリバツ人労働者200人以上を大量虐殺という出来事も起こっています。

 それらの歴史的事実は、1996年にキリバツ政府が行った太平洋戦争時住民被害調査および政府公式報告書に詳細に記録されており、バナバ島は特に被害の甚大な島と綿密な聞き取り調査がなされています。終戦直後の大量虐殺は、死体の中で潜み、たった一人で3ヶ月の漂流の後、保護された生き残りキリバツ人労働者の証言で明らかになりました。その証言を元に作成されたアメリカの記録映画が1997年 全米ドキュメンタリー映画祭でグランプリを獲得してもいます。

 今日でもバナバ人の高齢者の人たちは日本の古い歌を覚えている人も多く、日本軍の行為は、今もなおバナバ民族の伝統歌舞としても、次世代の若者たち・子供たちにひろく語り継がれてもいます。

 戦争が終わり、祖先の島に戻れると思っていたバナバ民族を再び強制移住させたのは英国植民地政府でした。1900年にリン鉱石が発見されてから、英国、豪州なども、同様に深く農業肥料をこの島での採掘に依存していたからです。彼らは再び、赤道直下のバナバ島から、はるか南回帰線を越えたフィジー共和国にある辺境の離島に英国によって強制移住させられ今日まで苦難の生活を余儀なくさせられている民族なのです。その強制移住距離は日本からフィリピンあたりに匹敵する距離です。

 もちろん、西洋諸国が大航海時代に彼らと出会い、富を奪い、だまし、南太平洋地域では「ブラック・バーディング」と呼ばれる奴隷狩り、そして無価値なガラクタと交換に、もしくは貨幣経済に不慣れな彼らをだまし収奪してきた歴史と行為は世界中の先住民族・少数民族の身の上に襲いかかり、現在も大きな傷跡と問題を残しているのですが、バナバ民族の身の上にもまったく同じ悲劇が起こっています。バナバ民族の土地と資源を奪い取る交渉の席で、「紙の貨幣と金属の貨幣どちらにする?」といわれたバナバ民族はポンド紙幣よりセント硬貨を選んだという悲憤の民族歌劇が現在も伝承されているのです。

 その上、彼らへの収奪は世界に類を見ないリン鉱石という資源が発見されることによって地球上類を見ないほどの苛烈で徹底した収奪と破壊をうけることとなりました。風土も自然の生態系も生物も、あらゆる環境が違う数千キロのはるか彼方に近代国家によって強制移住させられ、先祖の土地を奪われ一目見ることもできないような民族まるごと棄民放置されている民族は他に類をみません。

 日本、英国、豪州などの農業や独善的な利益のため、島はすべての場所が採掘され、徹底的な環境破壊が行われました。地上の景色とはおもえないような荒れ果てた月面のような島となってしまったのです。もちろん、1900年の資源採掘開始当初から、彼らは環境を守り、少数民族の権利を守るための声を上げ続けてきました。おそらく世界で最も早くから環境保護と少数民族の権利を守る闘いを植民地政府相手に、そしてその本国・英国で真正面から法廷闘争を始めた民族であるとも言えるでしょう。そして、その声を多くのオセアニアの人々は支持してきた歴史があります。

 豪州や英国、オセアニア諸国では、今日、彼らの悲劇の歴史と現状はよく知られていると言えます。英語圏では「西のパレスチナ、東のバナバ民族」とも言われ、オセアニア諸国で利用されている中学校教材にも、彼らの歴史と日本や英豪の関与は1章を割いて「先住民族の土地の権利」を学習する教材となっています。

 約80年間のバナバ島から採掘され続けたリン鉱石は、日本、英国、豪州、ニュージーランドなどに、何十億ドルもの農業利益・販売利益をもたらしましたが、彼らは十分な対価を得ることも無く、過酷な現状の中で、困難な生活を続け放置されています。現在、適切なインフラも整備されていない、フィジー国内で最も深刻な、健康・産業・教育・就労などの問題を抱える離島で、生存のための戦いを日々続けているのです。彼らの現状の深刻さは21世紀を迎え、日増しにさらに深まり続けています。そして、バナバ民族の孤独な闘いは、彼らの心に、わびしさと孤立感を、今、深めつつあるのです。

 民族の生存と環境問題、少数民族の権利、彼らの正義の戦いと、祖先の島、母なるバナバ島リハビリテージョンなどの取り組みは終わっていません。

「ABARA BANABA」

 1991年からバナバ民族を支援する活動を豪州で開始した一人の女性がいます。ゴールド.コースト在住のMs.Stacey King(ステイシー・キングさん)は、バナバ島でリン鉱石を採掘する会社で働いた技術者の子孫にあたり、バナバ民族から土地と資源を奪い、豊かな生活を享受した豪州人の一人として、誠実に彼らの支援活動をたった一人でスタートさせました。共感の輪は全世界に広がりつつあります。彼女が初めてバナバ人が現在、強制移住させられているフィジーのRABI(ランビ)島を訪問し、困難な生活の現状を実際に直視したのは1992年のことでした。彼女の活躍で、豪州をはじめ、英国、米国、ニュージーランド、カナダ、ドイツ、ベルギーオランダをはじめ、南太平洋一円諸国など以外にも、国際的にバナバ民族と現状、支援の動きが少しずつ世界に知られていくようになりました。彼女によって、RABI島の教育環境整備支援、図書館設立、保育所の教材寄贈、バナバ民族自治政府との深い絆と信頼関係が年々、積み上げられてきています。

 1994年から青年海外協力隊のメンバーとしてフィジー共和国に赴任していた現バナバ民族支援NGOの日本代表である私もフィジー共和国のRABI 島で困難な生活に直面しているバナバ民族とその歴史を知り、WHOオセアニア事務所・在フィジー日本大使館・保健省本庁・農林水産省本庁と連携し医療・教育などの独自の支援活動を開始していました。

 1996年フィジー共和国 故カミセセ・マラ首相も主賓として参列したバナバ民族強制移住50周年記念式典で、ステイシー・キングさんと私はお互いの活動を長年相互に聞きし尊敬しあっていましたが、初めての実際の対面をしました。私は、1996年には戦後初めての日本人として、3,4ヶ月に1度しか訪問しない補給船に乗ってバナバ島に上陸しました。

 1997年にはステイシー・キングさんと私が協力してNHK-BSスペシャルドキュメント「南太平洋・失われた楽園」(1時間)が製作・放映されました。

 1998年には世界に広がったバナバ民族支援ネットワークが一同に会して「ホームカミング・トリップ」という、50年以上も祖先の島を見ることもできなかったバナバ民族の古老200人と、世界から集まった各国からの支援者100名が船をチャーターしてバナバ島を訪問するという計画を実現させ、その模様は英国BBC放送のドキュメンタリー番組として世界中で放映されました。( http://www.banaba.org.uk/ )。

 1998年国連人権小委員会先住民族作業部会NGOレポート提出、バナバ民族舞踏団日本招聘(東京都国際交流基金・エスニックコンサート実行委員会)東京・大阪・横浜・千葉などの各地で公演。1999年大阪国立民族学博物館地域研究報告発表、2000年豪州「ボディ・ショップ」後援教育プロジェクト、2002年ユネスコ「遠隔地教育と民族」特別研究地域としてのユネスコによるレポート発表、 "Te Rii ni Banaba"  Stacey Kin & Ken Sigrah共著(民族と文化、伝説・南太平洋州立大学出版局) 、2004年台北で開催された第八回世界島諸国研究学術会議参加、2006年ベルギー国営放送ドクメンタリー番組制作欧州各国で放映etc、物品販売など多数多様な活動を私たちは進めてきています。

このたび、初めてまとまった形で日本語リーフレットを作成してバナバ民族を日本の皆様に広くご紹介、ご支援をお願いするのは、グローバリゼーションという荒波の中で、また、ここ数年、巨大なサイクロン被害に見舞われ、彼らの生存がさらに厳しく困難な生活の度合いが日増しに深まっている現実の深刻さが背景にございます。

 世界に類を見ない環境と人権の問題としても、毎年のようにも英国BBCや豪州ABCなどのTVなどで紹介されている彼らを、ぜひ日本の皆様にも知っていただきたいと、豪州、米国、英国を始めとする世界中のNGOグループと日本のNGOが連携して開始されている私たちの活動に、どうかご支援いただけますよう、よろしくお願い申し上げます